歌詞がいいんじゃない。音楽がいいのだ。(2)
Ⅰ.スガシカオ
スガシカオと言えば,SMAPに提供した『夜空ノムコウ』,NHK「プロフェッショナル」の主題歌『Progress』が有名で,どちらかといえば爽やかな歌手だというイメージなのではないだろうか。
一方で,スガシカオはハルキストとして有名なことからもわかる通り,作詞の中に文学がある。スガシカオは村上春樹以外にも坂口安吾や島崎藤村を好み,彼らの作風にも表れるような生々しいサディスティックな表現をスガシカオは好む。
その一例を挙げたい。以下は『AFFAIR』の歌詞の冒頭の一節だ。
そんなことがたびたび起きて
悲しい出来事が静かにやってきたんだ
気づかないうちに僕の両手は
真夏のヒマワリをひきちぎってしまった
「最後にひとつだけもし君に酷い言葉残せるなら」
歌詞の意味内容だけをとらえるなら本来このような言葉を使う必要はない。つまり,暗に示すような言葉を使わなくとも「悲しい出来事」を直接示せばいいはずであるし,一方で,具体化された「真夏のヒマワリ」の方は暗喩ではなく自分の感情を言えばいい。こうしたつけはなすような表現がスガシカオのサディズムといえる。
加えて「ひきちぎってしまった」という言葉はその響き自体も残酷さを感じさせる。
そして,今回のテーマにおいてとりわけ重要なのはこの歌詞が粘りのあるサウンドの中で展開されていることにあるだろう。この歌詞だけではわからない怒りや歪んだ愛情のようなものもねっとりとしたギターなどの表現も伝わってくるのではないか。そうであるからこそこの歌詞の抽象性にも意味が生じてくる。
音楽が全体としてこうした言葉の持つイメージを膨らませることが多少はわかっていただけるのではないか。